第12組・澤田見

今月のことば/秦治人

仏かねてしろしめして 
煩悩具足の凡夫と
おおせられたる

『歎異抄』(聖典629頁)

今月のことば 煩悩具足の凡夫という言葉は、私を浄土信仰に導く厳粛な仏言である。

 このことを忘れると驕慢心を隠すためや造悪無碍的な居直り、あるいは自分への甘えの言葉となる。

 『歎異抄』第九条はそのことを教えている。第九条は親鸞聖人と唯円の問答である。唯円が、「念仏を申しているが、今では天におどり地におどるほどに歓びが身にそなわらない、またすぐにも浄土に生まれたいという気持も欠落している。これはどうしてでしょうか」と聖人に尋ねた。それに対して聖人は、「わたしもその不審があったのだが、唯円よ、おまえも同じだったのか。しかしよくよく考ええるなら、天におどり地におどるほどに歓ぶべきことを歓ばないことで、浄土に生まれることは一層定まったと言える。歓ぶべきことを歓ばせないのは煩悩のせいである」と答えられた。これにつづく言葉が、「しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおおせられたることなれば・・・」である。この意味は、「煩悩具足の凡夫」という言葉が、私の驕慢や甘えの心を許さない真理であり、前もって私たちに呼びかけておられる仏言ということである。聖人は、

煩は、みをわずらわす。悩は、こころをなやます(『唯信鈔文意』)

凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず(『一念多念文意』)

と丁寧に釈されている。

 仏智の光に顕われる凡夫という真理。この真理に対して敬虔で従順であること、そして如来の名号への
心からの服従、ここに浄土の信仰がある。その信仰の中で、もし自分を許し、また他者への寛容やねんごろなるこころが現われるとすれば、それは信仰による変容であり恵みなのである。

造悪無碍・・・どんなに悪を造っても往生の障りとならないという主張。(真宗新辞典)

(秦治人/所出・教化センターリーフレットNo291 2011/8発行)

天満別院お待ち受け

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3月14日13時30分より、「天満別院宗祖親鸞聖人750回御遠忌・お待ち受け法要並記念講演」が執り行われました。法要は教区内の女性僧侶によるお勤め。法要部会の准堂衆の先生方のご指導のもと、何回も練習を重ねて、今日の日を迎えられました。参詣席は用意していた座席では足りず、急遽椅子を追加しなければいけないほどの満堂でした。

↓こちらから勤行の様子をお聞きになれます。次第は正信偈真四句目下・念仏讃淘五・和讃「弥陀成仏のこのかたは」です。

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その後、記念講演として、こまざわ小児科医院院長・駒澤 勝先生による「阿弥陀さまと私」と題したお話がありました。

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たくさんの参詣をいただき、十月の御遠忌厳修に向け、とてもよいお待ち受けになったことだと感じました。

組門徒会研修旅行

さる3月12日~13日、第12組門徒会の研修旅行に行ってまいりました。初日は岡山県津山の「衆楽園」という庭園を見学したあと、法然上人のご実家の跡に建立された「誕生寺」に参詣いたしました。若院さんから、お寺の縁起、法然上人のご生涯などをお聞きいたしました。

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宿泊は鳥取県の三朝温泉。夜はおいしいお料理をいただき懇親を深めました。

翌日は、妙好人・源左さんゆかりのお寺「願正寺」(本願寺派)へお参りいたしました。みんなで正信偈をお勤めしたあと、ご住職から源左さんについてのお話を聴聞させていただきました。その後、智頭町の旧石谷家住宅という、土地の豪農の豪華なおうちを見学後、大阪へと戻りました。

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12組門徒会が設立されて30周年となる記念行事として、研修旅行が企画されました。宗祖のお師匠様である法然上人、そして篤信の一門徒であった因幡の源左さんと、それぞれ特色のある先達のあとを訪ね、それぞれおおいに学ぶところがあったように思います。

今月のことば/新田修己

善人なおもて 往生をとぐ いわんや悪人をや

『歎異抄』(聖典627頁)

今月のことば 煩悩具足のわれらであるとの自覚に立って開かれた浄土真宗は、悪人正機の宗教である。善人であるとか悪人であるとかは、あくまでも相対的価値観の中での評価である。業縁のもよおしによって、わたし達は、時には善人であると持ち上げられたり、また或る時には極悪非道の悪人であると罵られたりもする。まさに毀誉褒貶は縁しだいである。

 私たちはそれぞれの存在の内奥に、他者を蹴落とし、そのいのちを略奪し、自分だけが生きのびようとする恐ろしい煩悩をかかえている。そのために人間でありながら、互いのいのちを無視し傷つけ合いながら生きざるを得ない。しかも、そのことがどんなに罪深いことかも知らず、生活の場が地獄化してしまっている。このような苛酷な現実を生きざるを得ない私たちであるが、決してそこにじっと停まっていることもできない。誰もが地獄のまっただ中で、無意識のうちにそこを抜け出すことのできる道を必死に探
し求めている。

 『歎異抄』は、そんな私たちの存在の闇を照らす遥か彼方にある天空からの一条の光である。青春時代から今に至るまで、座右の書として繰り返し愛読してきた『吉野秀雄歌集』の中に、次の一首がある。

業深き我が身一人のためにこそ
 このよき書は今に殘れか
       (歎異抄を誦みつつ)

 この歌は、吉野秀雄(一九〇二ー一九六七年)が懊悩の人生のなかで、ゆくりなくも出遇った『歎異抄』への溢れんばかりの讃歌である。

 私も年月を重ね、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」との『歎異抄』の一言を、業深い我が身一人のためであったと、今に至って始めて襟を正してうやうやしく押し戴くことができるようになった。

(新田修己/所出・教化センターリーフレットNo290 2011/7発行)

門徒会研修講座2

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今年度二回目の組門徒会学習講座が、先日13日午後1時半より、守口文化センター3階研修室にて行われました。前回に引き続き、大谷大学名誉教授の沙加戸弘先生にお話しいただきました。

今年度のテーマは「宗祖親鸞聖人のご生涯」ですが、なかなか宗祖にたどり着きません(笑)。今回は、源平の争乱が全国規模でうちつづいたその末法の世に、法然上人そして親鸞聖人が誕生されたということの意味と時代背景、法然上人のご生涯についてお話いただきました。

次回はいよいよ三回講座の最後、宗祖のご生涯についてお話しいただく予定です。

教区内各組を訪問し意見交換

教区教化体制策定委員会(山口知丈委員長)では、新たな教区教化体制の策定に向けて、昨年12月から教区内各組を訪問し、意見交換を行っている。

教区内各組を訪問し意見交換

minamimido_201501_p10教区教化体制策定委員会の取り組みは、昨年3月に「教区教化体制の見直しのための審議会」から教区教化委員長宛に提出された答申の内容を受け、 「現場が主役」という方針のもと、各組・寺院から直接現場の声を聞くために行っているもの。

意見交換会では、現在同委員会が構想を練っている新教化体制の試案の説明の後に意見交換を行っており、「今、それぞれの寺院が門徒離れで、苦しんでいる状況の中、新しい体制で具体的に何が変わるのか」、「教区の教化委員会が門徒の思いと乖離しているのではないか」、「これまでこういう現場の悩みを聞く場が教区には無かった。これからも継続的に場をもってほしい」など、現場からの率直な声が聞かれている。

今後、同委員会では、聞き取った意見を踏まえて、新教化体制の具体的な策定作業を進め、今年3月を目処として新教化体制案の構築を目指している。

『南御堂』1月号「大阪教区通信」より

お寺だってIT/Wi-Fiって何?

お寺といえども情報化社会においてはITなんて関係ないなんて言ってられません。正しい知識を身につけて、教化活動に活かしましょう!
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Wi-Fiって何?

最近、スマートフォンが爆発的?に流行していますね。電車の中でもスマートフォンがあふれている感があります。

さて、このスマートフォンで俄然注目されている用語があります。「Wi-Fi(ワイファイ)」です。聞いたことありますよね。「これって何?無線LANと何が違うの?」という質問をよく受けます。答えは「ほぼおなじ」です。ほぼって何?…ちょっと説明しますね。おつきあい下さい。

まずWi-Fiってのは無線接続のブランド名なんです。

で、次にLANってのはそもそもローカルエリアネットワークという言葉の略でして、ローカルすなわち自宅とか、会社とか、そういう狭いエリアをつなぐための規格でした。そんな狭い範囲だけど、ケーブルつなぐのめんどくさいから無線化しちゃおうってのが無線LANでした。

そのうち無線LANを利用する機械がふえます。ニンテンドーDSやPSPといった携帯ゲーム機です。さらにそれらを含めてスマートフォンなどは、とうとうローカルエリアを越えて(つまり家の外に出て)使う事が多くなりました。そうなるともはやLANじゃなくてWAN(ワイドエリアネットワーク)ですね。そこでそういう狭い範囲だけじゃなくて、広域に利用されるときの無線接続をちゃんと規格化しようってんでまとめられたのがWi-Fiというブランドなのでした。

むー、わかったようなわからないようなお話でしたね。こういうことに丁寧に答えてくれるのが「パソコン相談室」です。皆さんどうぞおこしください。【委員JT】2012/4発行

201204チラシver.5※「お寺だってIT」は教化委員会ホームページ部が、教区内寺院向けに発行しているものです。

青少年活動に学ぶ実行委員会との座談会

12組青年会では、先日2月3日(火)、教区教化委員会・研修講座部の「青少年に学ぶ実行委員会」から5名の委員さんがお越しになって、会合を開きました。実行委員会さんでは、青年会を順番に回り、話し合いと「パネルシアタ-」のお披露目をなさっておられます。

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はじめにそれぞれの自己紹介のあと、我々12組青年会の普段の活動内容を説明しました。

その後、実行委員会で制作されたパネルシアターを拝見しました。パネルシアターは宗祖と弁円のあの有名な出会いのエピソードを題材にしたもので、とてもわかりやすくできていると思いました。このようなアイデアを示して、お寺のこども会などで活用できるように、プレゼンしてくださることは、われわれ青年会のメンバーにも刺激になったことと思います。

続けてこのパネルシアターを受けて座談を行いました。また委員の皆さんからは、他の組の青年会がどんな活動をしているか、どんな悩みをかかえているか、などのお話をうかがうこともでき、貴重な情報交換の場となったことです。もっともっと同じような活動を続けていただき、それをフィードバックして全青年会で問題意識や活動内容などを共有できるような仕組みを作ってくださったら、活性化につながっていくことと思います。

委員の皆さま、遠いところをありがとうございました。

仏華研究会「ちいちの華」のご紹介

ちいちの華フェイスブックページ https://www.facebook.com/Chiichinohana

会の趣旨説明

chiichiむかしからの言い習わしに「禅の掃除、浄土の盛物、真宗はお花」とあるように、私たち真宗の仏華は、お荘厳のなかでもひときわ大きな位置をしめています。

仏華は、「その華、光明、無量種の色なり、青き色には青き光、白き色には白き光あり。」『仏説無量寿経』と説かれるごとく、浄土の荘厳を顕わし、かつ仏心の「清浄」を具現しているといえます。

私たちの仏華研究会「ちいちの華」では、立花の基本である池坊流の華法をふまえつつ、微妙の法を説きたもう如来の”はたらき”として「深山流渓」の立て方を旨として研究を重ねております。

「深山流渓」とは、如来の深い心が渓流から大河となって、私たちの上に流れ届くという意味で、いわゆる盛り花、投げ挿しといった普通の生花とは異なり、真に松・桧・竹・桜等を用い、役枝には四季折々の木花をもって、直立型を避け”深さと流れ”のある立調に心掛けております。 また、古来の示教に則り、トゲのあるもの、つるのあるもの、異臭の漂う花材はご遠慮をして「仏華にふさわしい仏華」の研究をいたしております。

ご依頼等のご相談

  • まずはメールにてお問い合わせください
  • 御遠忌法要、落慶法要等の出張立華(報恩講は基本的にお受け致しておりません)
  • 仏花講習会(組内坊守会、寺族研修会、青年会、門徒会、お内仏講習会等)
  • 出張立華の対象 真宗大谷派の寺院(仏花講習会等はこの限りにあらず)
  • 出張の範囲 基本として大阪府内(事務局に相談の事)
  • 御礼・花材代金・材料費は事務局に相談の事
  • 花材はその季節により指定できません、様式(軒真・直真)はご相談ください

教区・難波別院御遠忌での仏華展

教区・難波別院御遠忌での仏華展

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2014年より難波別院報恩講のお華も担当しています

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『同朋』で紹介されました

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組の坊守会での仏華講習の様子です

 

お問い合わせ

事務局
真宗大谷派大阪教区第13組即念寺・洲崎 善範(sokunenger@mkc.zaq.ne.jp)

今月のことば/千賀雅夫

煩悩具足の凡夫 火宅無常の世界は よろずのこと
みなもって そらごとたわごと まことあることなきに 
ただ念仏のみぞ まことにておわします

『歎異抄』(聖典640頁)

今月のことば 「煩悩具足の凡夫」とは限りなき欲望をそなえた平凡人という意味です。

 その意味は、煩悩をもつわたしたちは、ものごとを正しく見抜く眼をもたず、自己愛がはげしく、つねに自己中心にものを見、他に対して慢心をいだくという自己関心につらぬかれ、加えて欲望と怒りの心が身に満ちている存在だ、ということです。
      
 こんな自分を単純に肯定していては、この世は燃えさかる煩悩の火に身をこがす「火宅無常の世界」のほかありません。

 日常わたしたちは、善悪のしがらみの中に生きています。この人は良い、あの人は悪い、これは正しい、あれは間違っている、といつも判定をし選びをしています。この善悪の判断は必要なようでもありますが、所詮は煩悩にもとづく判定で、まことに主観的で皮相なものなのです。

 親鸞聖人の言葉に「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」という言葉があります。善悪は自
分にはわからない、といわれるのです。これは、この世に善悪正邪はないといわれているのでありません。

 仏のような智慧の眼をもたない自分には、何が善であり何が悪であるか、知り通すことができない、わからない、という懺悔の告白なのです。

 聖人のこの懺悔の心からみれば、わたしたちは浅薄な知恵で善悪をあげつらい、それに固執していることが知らされます。「みなもって、そらごとたわごと、まことあることなき」と、愚かな生き方に頭が下がらないといけないのです。

 お念仏は如来の慈悲と智慧を体現したものです。

 お念仏の智慧の光によって、自分中心の善悪観の中途半端が照らされると、わたしたちの人生の事実は、善悪を超えていかされていることが知らされます。これを業縁存在といいます。

 お念仏は善悪観の皮相を照らし、業縁存在に気づかせる「まこと」なのです。

(千賀雅夫/所出・教化センターリーフレットNo289 2011/6発行)

十二組門徒会研修講座

本日13時30分より、守口文化センター3F研修室にて、第十二組門徒会研修講座が開かれました。今年度3回の講座のうちの初回です。約50名の参加がありました。

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ご講師は大谷大学名誉教授・沙加戸弘先生です。「宗祖親鸞聖人の御生涯」とのテーマでお話をいただきました。今回は、お釈迦さまが仏法を、わたしたち人の言葉ではじめて伝えてくださり、その仏法が言葉も風土もまったく違う中国そして日本へと伝わったということを、宗祖の生涯を語る前段階としてお話くださいました。「仏法をいただく」ということは「生き方が定まる」ということであるとのお言葉が印象に残っています。熱の入った、そして楽しいお話でございました。あと2回が楽しみです。

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次回は2月に行われる予定です。

組門徒会報恩講厳修

本日、円立寺にて第12組門徒会報恩講が厳修されました。

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12組では、組門徒会報恩講では、門徒会のみなさんが、調声(すべてのおつとめの発声役)、キン役、巡讃(和讃六首引の句頭をひとりづつ順番に発声する)をつとめます(次第は正信偈草四句目下・念仏讃三淘、和讃「弥陀成仏のこのかたは」次第六首)。それぞれみなさん、大きな声で、すばらしいおつとめをしていただきました。

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その後、安城正人先生によるご法話を聴聞いたしました。

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最後にみなさんでお斎をいただいて解散となりました。組門徒会役員のみなさま、会処の円立寺のみなさま、ありがとうございました!

策定委員会による意見聴取

昨日16時より、第12組組会ならびに教化委員会が清澤寺にて開かれました。

教区教化体制策定委員会の山口委員長がいらっしゃって、現在すすめておられる教化体制の見直しの現状報告と、意見聴取がおこなわれました。組内のみなさんより、さまざまな意見がでたことです。

その後、各部会からの報告や門徒会の会費の問題を検討いたしました。